行動経済学をマーケティングに応用する。AIで訴求案を広げて絞る手順を解説する記事

理論は知っている。自社の商品に当てはめるところで止まる

行動経済学の入門書を読むと、面白いほど腑に落ちます。人は得より損を大きく感じる。最初に見た数字に引っ張られる。選択肢が多すぎると選ばなくなる。どれも、自分の買い物を思い返せば思い当たります。

問題は次です。自社の商品の値札やランディングページの前に座ると、手が止まります

損失回避を使いましょう、と書いてある。では、月額9,800円の自社サービスの申込みページで、具体的に何をどう書き換えるのか。ここが飛んでいます。理論は抽象的で、商品は具体的です。その距離を埋める作業が、これまでずっと人の経験と勘に任されてきました。

顧客が何と比べているかを見極めるイラスト

そして、この距離を埋める作業は、実は量の問題でもありました。1案しか思いつかないと、当たったかどうかも分かりません。5案あって初めて比べられます。ただ、方向性の違う5案を人が書き分けようとすると、半日かかる。だから多くの現場では1案で走り、効かなければ理論のせいにするか、諦めるかになっていました。

生成AIが変えたのは、ここです。理論を教えてくれるからではありません。理論と自社商品のあいだにある翻訳作業を、安くしたからです。

この記事では、マーケティングで実際に効く型を5つに絞り、AIに自社の材料を渡して訴求案を広げ、絞り、小さく試すところまでの手順を書きます。

AIは理論の先生ではなく、翻訳と量産の担当

先に、AIの置き場所をはっきりさせます。工程を3つに分けると分かりやすい。

工程 何をするか 担当
翻訳 理論を、自社の商品と顧客の言葉に置き換える AIが得意
量産 方向性の違う案を10案20案出す AIが得意
選択 どれを世に出すか決める 人がやる

AIに理論の解説をさせても、本には勝てません。聞くべきなのは解説ではなく、翻訳と量産です。この商品でこの理論を使うと、具体的にどういう文面になるのか。それを10通り。

選択は人がやります。理由は2つあります。ひとつは、出した内容に責任を持つのが人だから。もうひとつは、AIは自社が守れる約束かどうかを知らないからです。返金保証を打ち出す案が出てきても、実際に返金の対応を回せるかまでは判断できません。

マーケティングで効く5つの型に絞る

理論を20個並べても手は動きません。使う頻度が高い5つに絞ります。

何を動かすか よく使う場面
参照点を置く 比較の基準を先に示す 価格表、見積書、提案書
損失の形にする 得られるものではなく、失っているものを見せる 広告見出し、営業トーク
初期設定を決める 選ばせずに、標準を用意する 申込みフォーム、プラン設計
選択肢を設計する 数と並べ方で、選びやすくする 料金プラン、メニュー
他の人の行動を見せる 判断材料として、周囲の選択を示す 導入事例、レビュー、店頭

それぞれ、中身を少しだけ書きます。

参照点を置く。人は絶対額ではなく、何かとの差で判断します。月額3万円が高いか安いかは、単体では決まりません。人を1人雇う費用と並べれば安く見え、他社の月額1万円と並べれば高く見えます。どの基準の隣に置くかを、こちらが決められます。ただし、無関係なものを並べると不信感になります。

損失の形にする。同じ内容でも、得る話より失う話のほうが強く受け取られます。年間12万円お得です、より、いまのやり方を続けると年間12万円多く払っています、のほうが動きます。これは事実である場合に限ります。事実でない損失を持ち出すのは、後述するやってはいけない設計です。

初期設定を決める。人は初期設定のまま使います。選ぶには判断が要るからです。プランを3つ並べて、どれか1つに標準と書いておく。フォームで一般的な選択肢を先に入れておく。これだけで分布が変わります。変えられる状態にしておくのが条件です

選択肢を設計する。多すぎると選ばれません。20種類のプランは、選ぶのが面倒で離脱を生みます。3つから5つに絞る。そして、人は極端を避ける傾向があるので、真ん中に置いたものが選ばれやすくなります。売りたいものを真ん中に置く設計は、よく使われます。

他の人の行動を見せる。導入社数、レビュー、同業種の事例。判断材料として実際に機能します。注意点は2つ。少数派を強調しないことと、数字を盛らないことです。まだ3社なら、3社と書くか書かないかの二択になります。

型は5つで足ります。増やすほど、どれを使うか迷って手が止まります。

AIに渡す前に用意する4つの材料

ここを飛ばすと、AIは一般論のコピーを返します。どの会社に貼っても成立する、あの文面です。

AIに訴求案を作らせる前に用意する4つの材料

1. 商品の事実。価格、提供条件、契約期間、何が含まれて何が含まれないか。数字はそのまま渡します。

2. 買う人の状況。誰が、どんなときに、何と比べて検討するのか。買わなかった場合にその人が取る手まで書けると、案の精度が上がります。競合他社だけが比較対象ではありません。自分でやる、いまのままにする、も比較対象です。

3. 顧客の生の言葉。レビュー、問い合わせ、営業の商談メモ、失注理由。要約せずに、原文のまま渡してください。要約した時点で、要約した人の解釈が入ります。5件でも10件でもかまいません。ここが、他社にはない材料です。

4. 言ってはいけないこと。景品表示法や業界の規制で書けない表現、自社が守れない約束、過去にクレームになった言い方。先に禁止事項を渡さないと、使えない案が半分混ざります

4つのうち、いちばん飛ばされるのが3です。集めるのに手間がかかるからです。ただ、訴求の質を決めているのは、ほぼここです。顧客が実際に使った言葉は、こちらが考えた言葉より強い。

型ごとに、AIで案を広げる

材料が揃ったら、型ごとに聞きます。全部まとめて聞かないでください。混ざります。

参照点を広げる

「以下の商品について、価格の見せ方を5案作ってください。それぞれ、比較の基準になるものを変えてください。基準は、渡した情報から実際に言えるものだけを使ってください。各案について、どの基準と並べているかを明記してください。 (商品の事実と、買う人の状況を貼る)」

基準を変えてください、と指定するのがコツです。ただ5案と頼むと、言い回しだけが違う5案が返ってきます。

材料を揃えてからAIに渡すことを表したイラスト

損失の形に言い換える

「次の訴求文を、失っているものを示す形に書き換えてください。5案お願いします。ただし、渡した数字から計算できる損失だけを使い、根拠となる計算を各案に添えてください。計算できないものは書かないでください」

計算を添えさせると、根拠のない損失表現が減ります。出てきた計算は、必ず自分で検算してください

顧客の言葉から訴求を作る

「以下は当社の顧客から実際に届いた声です。この中から、購入をためらった理由と、購入の決め手になった理由を分けて抜き出してください。次に、ためらった理由それぞれに答える一文を作ってください。顧客が使っている言葉をそのまま活かしてください。 (生の声を貼る)」

これがいちばん効きます。自分たちが売りだと思っていたものと、顧客が評価しているものは、たいていずれています

反対から考える

「この訴求文を読んで、買わない判断をする人がいるとしたら、どこで引っかかりますか。5つ挙げてください。そのうえで、そのうち事実で解消できるものと、解消できないものに分けてください」

解消できないものが出てきたら、それは訴求の問題ではなく商品の問題です。その区別がつくだけでも、この問いには価値があります

出てきた案を、4つの基準で絞る

20案あっても、出すのは1つか2つです。絞る基準を先に決めておきます。

基準 確認する質問
事実か この表現は、社内の資料で裏が取れるか
守れるか 書いたとおりのことを、実際に提供できるか
説明できるか なぜこう書いたのかを聞かれて、正直に答えられるか
不利益がないか 既存の顧客や、買わない人が不当に損をしないか

2番目でよく落ちます。返金保証、24時間対応、翌日納品。案として出すのは簡単ですが、運用が回らなければクレームになります。訴求は、社内の体制と同時に決める話です。

3番目は、後述するダークパターンかどうかの判定にそのまま使えます。手口を相手に説明できない施策は、やめたほうがよい。

1つの商品で、最初から最後まで通してみる

手順だけだと動かせないので、1本通します。以下は説明のための設定で、特定の商品のものではありません。

1つの商品で訴求案を作り検証するまでの通し手順

題材: 中小企業向けの業務システム。月額3万円、初期費用20万円、契約は年単位。

材料を集める

  • 商品の事実: 月額3万円、初期費用20万円、最低契約12か月、導入支援は初回3回まで込み
  • 買う人の状況: 従業員20名前後の会社の管理部門。エクセルと紙の台帳で回している。比較対象は他社製品ではなく、いまのままにする
  • 顧客の生の言葉: 導入した5社の声(原文)と、失注した3社の理由(営業メモ)
  • 言ってはいけないこと: 業務効率が何倍という表現、他社製品の名指し比較

ここで気づくことがあります。比較対象が他社ではなく、いまのままにする、でした。この時点で、他社との機能比較表を作る方向は外れます。競合との差ではなく、いまのやり方を続けた場合との差を見せる話になります。

型を選ぶ

比較対象がいまのやり方なので、参照点と損失の形が合います。初期設定と選択肢の設計は、プランが1つしかないので今回は使いません。使わない型を決めておくと、あとで迷いません

AIに広げさせる

材料を渡して、参照点の型で5案。返ってきたのは、たとえばこういう方向です。

  • 人を1人増やす場合の年間人件費と並べる
  • いまの手作業にかかっている時間を時給換算して並べる
  • 導入している同規模の会社の台数と並べる
  • 初期費用を12か月で割って月額に含めて見せる
  • 他社製品の価格帯と並べる

5案目は、言ってはいけないことに引っかかるので落ちます。3案目は、社数が少なければ使えません。この時点で、事実で裏が取れるかどうかが効いてきます

絞る

残った案を4つの基準にかけます。2案目、つまり手作業の時間を時給換算する案が残りました。理由は、失注した3社の営業メモに、時間がかかっているという言葉が繰り返し出てきたからです。顧客の生の言葉が、案の選択に効いた形です

ただし、時給換算には根拠が要ります。何時間かかっているのかを、導入前の顧客に聞いた記録から出せるかどうか。出せないなら、この案も落ちます。

試す

見積書の1ページ目だけを変えます。従来は機能一覧が先頭でしたが、いまのやり方を続けた場合の年間コストを先頭に置く。ほかは変えません。

見る数字は、見積提出から次の打ち合わせに進んだ割合。件数が少ない商材なので、統計的な差は出ません。20件たまった時点で、進んだ割合が明らかに動いているかどうかだけを見ます

そして、先に決めておきます。進んだ割合が上がっていたら他の営業担当にも配る。変わらなければ元に戻して、次は損失の形を試す。

通してみると分かりますが、AIが担当したのは広げるところだけです。材料を集めるのも、落とすのも、試すのも人がやっています。それでも、5つの方向を30分で並べられたのは、以前とは違います。

媒体によって、同じ型でも書き方が変わる

同じ参照点でも、載せる場所で形が変わります。

媒体 効きやすい型 気をつけること
価格ページ 参照点、選択肢の設計 比較対象を明示する。曖昧な比較は不信になる
ランディングページ 損失の形、他の人の行動 冒頭に置く。下にあると読まれない
営業トーク 参照点、反対意見への回答 台本にせず、相手の状況を聞いてから使う
メールの件名 損失の形 開封だけ増えて本文で落ちる形にしない
店頭やPOP 選択肢の設計、他の人の行動 文字数が限られる。1つの型に絞る

1つの媒体に複数の型を詰め込むと、どれも効きません。特にランディングページで、損失も参照点も社会的証明も全部載せた結果、何を言いたいのか分からなくなる例をよく見ます。1画面に1つです。

小さく試して、効いたかを確かめる

案を選んだら、試します。ここを飛ばすと、効いたかどうかが永久に分かりません。

1. 一度に1つだけ変える。見出しを変えるなら見出しだけ。同時に画像も変えると、どちらが効いたか分かりません。

反応の数字と結果の数字を分けて見る

2. 変える前の数字を先に取る。直前2週間のクリック率、申込率、単価。ここを取っていないと、後から比較できません

3. 期間と母数を決める。1日で判断しない。曜日によって客層が変わる商材なら、最低でも1週間は回します。

4. 見る数字を2つに分ける。反応の数字(クリック、開封、申込)と、結果の数字(成約、解約率、客単価)。反応だけが上がって結果が下がるパターンは実際にあります。煽った見出しでクリックは増えたが、実態と違うので離脱した、という形です。

5. 結果が出たらどう動くかを、先に書く。申込率が1.5倍を超えたら他の媒体にも展開する、変わらなければ元に戻す。後から数字を見て解釈すると、都合のよい読み方に寄ります。

小さい商材や少ない母数では、統計的に確かなことは言えません。それでよい、と最初に決めておいてください。知りたいのはどちらに賭けるかであって、差が何%で有意かではありません

測る指標を分ける

反応だけを追うと、反応だけが上がります。指標は4層に分けてください。

何を見るか 具体例
反応 目を引いたか 表示回数、クリック率、開封率
検討 中身を読んだか 滞在時間、資料請求、価格ページへの到達
成約 買ったか 申込率、成約単価、商談化率
継続 買った後どうか 解約率、再購入率、問い合わせの内容

上の層ほど測りやすく、下の層ほど効きます。そして、いちばん測りやすい反応だけを見て終わることになりがちです。

継続の層は特に見落とされます。期待を上げすぎた訴求は、成約を増やして解約も増やします。短期の数字だけを見ていると、この構造に気づきません。訴求を変えたら、3か月後の解約率まで追ってください。

もうひとつ。評価に使う数字と、改善に使う数字は分けてください。担当者の評価にクリック率を入れた瞬間、その数字は改善のための情報ではなくなります。測るための指標が目標になると、指標として使えなくなる。

やってはいけない設計

行動経済学のマーケティング応用は、人を操る技術として語られがちです。その扱い方をすると、短期の数字は動いても、信頼を失います。

やってはいけない設計と、その見分け方

避けるべき形を具体的に挙げます。

  • 期限や在庫の嘘。残り3個、本日限り。事実でないなら使わない
  • 解約や退会の導線を隠す。申込みは3クリック、解約は電話のみ、という設計
  • 初期設定で不利な選択を入れる。オプションに最初からチェックが入っている形
  • 打ち消し表示を読めなくする。条件を極端に小さい文字で書く
  • 比較対象を偽る。存在しない定価を並べて割引率を大きく見せる

判定の基準はひとつで足ります。その手口を、相手に説明できるか。なぜこの表示にしているのかを聞かれて、正直に答えられないなら、やめる。

法令の面でも、期限や在庫、価格の表示には規制があります。景品表示法の有利誤認や優良誤認に当たる可能性がある表現は、社内の判断だけで進めず確認してください。AIに法令の判断をさせるのも避けたほうがよい。

理論を持ち込むときの前提

最後に、正直に書いておくことがあります。

行動経済学の理論を実務に持ち込むときの3つの前提

ナッジの効果量そのものが、学術的な論争の対象になっています。2022年に米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された論文は、既存のナッジ研究のメタ分析には出版バイアスがあり、それを補正すると効果の証拠は残らないと指摘しました(PNAS)。この指摘には反論もあり、決着した話ではありません。

これをどう受け取るか。使わない、ではないと考えています。平均的な効果量が小さい以上、自社で試さずに効果を前提にしてはいけません。記事や本に載っている成功例は、うまくいった場面が選ばれて紹介されています。自社の商材で同じことが起きる保証はありません。だから、小さく試す工程が要ります。

もうひとつ。理論は、うまくいかなかったときの言い訳に使えてしまいます。効かなかったのは設計が甘かったから、客層が違ったから。どちらの説明も成立するので、原因の特定になりません。試す前に「この結果が出たらこう動く」を書いておくと、ここでもめません。

始める前に、社内で揃えておきたいこと

ここまでの手順を1人で回すこともできますが、チームでやるなら先に揃えておくことがあります。

訴求の検証を始める前に社内で揃えておく4項目

1. 誰が最終的に決めるのかを決める。案を出すのは複数人でよいのですが、世に出すものを選ぶ人は1人にしてください。合議で決めると、角の取れた無難な案が残ります。訴求は尖っているほうが効くことが多いので、これは損です。

2. 試すことへの合意を取っておく。効かなかった案が出るのは前提です。ここを事前に共有しておかないと、1回目が空振りしたときに「やっぱり駄目だった」で終わります。5案作って1案当たれば十分だ、という認識を先に共有してください

3. 顧客の声を集める担当を決める。この記事で何度も書いたとおり、材料の質が案の質を決めます。ところが、顧客の声を集める作業は誰の担当でもないことが多い。営業のメモでも、問い合わせの記録でも構わないので、どこに溜めるかと、誰が溜めるかを決めてください

4. やらないことを決める。事実でない期限、根拠のない比較、解約導線を隠す設計。やらないと決めた項目を書き出しておくと、案を絞る作業が速くなります。判断のたびに議論せずに済みます。

この4つは、最初の1回だけ決めれば足ります。決めずに始めると、毎回同じところで止まります。

AIは、案を安く作る相棒として置く

主張をまとめます。生成AIは、行動経済学を教えてくれる先生ではなく、理論を自社の言葉に翻訳して案を量産する相棒です

これまで、行動経済学をマーケティングに応用できていたのは、理論を知っていて、かつ自社商品への翻訳が上手い人だけでした。翻訳には経験が要り、経験は時間でしか買えませんでした。この翻訳工程が安くなったことが、いま起きている変化です

安くなったのは翻訳と量産だけです。どの材料を渡すか、どの案を世に出すか、出した結果をどう読むか。ここは変わっていません。そして、この3つのほうが結果を決めています

だから順番としては、AIを開く前に顧客の声を集めるところから始めてください。材料の質が、そのまま案の質になります

次の一歩

いま扱っている商品を1つ選び、この記事の4つの材料を紙1枚にまとめてください。商品の事実、買う人の状況、顧客の生の言葉、言ってはいけないこと。この1枚を作るのに、たいてい半日かかります。そして、この1枚があると案の質が変わります

そのうえで、まず参照点の型だけ試してください。価格の見せ方を5案出させて、比較の基準がそれぞれ違うことを確認する。30分で終わり、いまの見せ方が唯一の選び方ではなかったと分かります

考え方の土台から見直したい場合はAI時代の思考法を、企画や分析の進め方はビジネスフレームワークをAIで使うをあわせてご覧ください。

訴求案を広げて絞る流れは、自社の商品・顧客データがあるほど精度が上がります。KOIYALでは、マーケティングへのAI活用を法人向けのAI研修と、経営者・個人事業主向けのAI顧問・コンサルティングで支援しています。自社の訴求で試したい方は、お問い合わせからどうぞ。

出典・確認日